鉄瓶と愛

141119

今朝はあんまり寒かったので、アラジンストーブに火をつけた。天板にはたっぷりと水を入れた南部鉄瓶を置いた。

あっというまに湯は沸いて、蓋と口の隙間から蒸気があがる。シュンシュン、シュルシュルという不規則な音がする。時折、チリチリ、ビリビリというストーブと鉄瓶がふれあう振動音も聞こえてくる。朝の静寂に響くこれらの音に、忘れていた寒い季節の到来を感じる。

先週末のお茶の稽古でのこと。炉に新しい釜がしつらえられていた。

「これ、鉄じゃなくて焼き物なのよ」と、師匠が指をさして言う。
「え、茶釜って基本、鉄ですよね?」と、点前をするTさんが目を開いて言う。
「そうなのよ。道具屋の新作なんだって」と、師匠。
「見た目はなかなか綺麗ですねえ」と、Tさん。
「だけど、鉄のほうが湯が美味しくなって良い気がするんだけどなあ」と、師匠。

黒い釉薬がたっぷりとかけられた陶の釜は、滑らかな肌を光らせていた。中をのぞきこんだら外側と同じ黒い塗りが施されていて、透明の泡がぶくぶくと上がっていた。

鉄釜だったらこうはいかない。褐色のまだらな壁にうっすらと白いもやのような膜がおおい、見る角度によって幾つものいびつな表情を見せる。湯の沸き具合によって変化する振動音もおもしろい。見た目の重厚さと無骨さは特別な存在感があり、繊細な茶道具との対比が楽しめる。だから焼き物の釜は、ちょっと頂けない。

聞けば鉄釜より安上がりで、錆びないからお稽古用に普及させたい、というのが作り手の意図らしい。中学や高校の茶道部などで使われるのを想定しているとのこと。

たしかに鉄器は扱いや手入れが難しい。私も自宅で稽古をするときは、伊賀焼きの土鍋を釜がわりに使っているので、なるほどなあと納得する。合理的といえば合理的。時代によって道具も変わっていく。けれど一抹の寂しさがよぎる。茶室ではやっぱり鉄釜がいい。

アラジンストーブと鉄瓶の素敵な組み合わせを眺めていたら、そんな稽古場での出来事を思い出した。

鉄瓶の湯で珈琲をいれた。いつもよりもまろやかで美味しい。昨日つくった柿のジャムをトーストにのせてほおばった。おだやかなしあわせとは、こういうことをいうのである。

昨日もらったなおこさんからのメールには、こんなことが書かれていた。

愛されたり、愛したりって、眠っている大きな力を起こしてくれる大切なエレメントですよね。

れいこさんを愛する方が、れいこさんの今までの辛さを抱擁し、これからも星のように輝けるよう、サポートして下さる方であればいいなと勝手に願っています。

相手の希望を叶えるのも愛情ですが、まずは自分の気持ちや願いに素直に耳を傾けて上げて下さいね。

れいこさんはご自分を大切にされる方なので、大丈夫だと思いますが。

アメリカに移住し、ウェブの先端で働くなおこさんは、二年前にサバティカルでドイツに渡り、一年近く田舎の農家に住んで自給自足の生活を経験した。その頃から、なおこさんは「自分らしいゆたかな暮しとは何か」を人生の最重要テーマにすえて生きているように思う。

愛し、愛されることって、自分を大切にするってどんなことなのか。ずいぶん生きてきたけれど、まだ私にはわからない。

だけど、鉄瓶を大事にするようなものなのかもしれない。変化をたのしみながら、錆びないように、いつまでも一緒にいられるように、心を傾け続ける…。

そんなことを思いながら、あたたかい珈琲をすすった。

寒い季節はこれからだ。

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