2014秋

141116

今年の秋はことのほか美しい。この秋、色んな人が京都にやってきた。

私を訪ねて、というよりは京都にいる私を訪ねて、といったほうがいいだろう。とにかく、私と客人は再会し、たっぷりとお話をした。

東京で編集者をしているかおるさんとも、博多でゲーム開発会社の会長をしているみーさんとも、ベイエリアでコンサルタントをしているなおこさんとも、あまり仕事の話はしなかった。有能な彼女たちの凄い仕事を理解して気の利いた事を話す力は私にはないから。

私たちが話したことは、おしなべて各々の人生について、だった。それぞれの持ち時間を使って、相手にわかる言葉で丁寧に人生の物語を語り合った。彼女たちは美しかった。華や毒や優しさや悩みや色気や野心…多面体の彼女らに方々から光をあてるとキラキラと色んな輝きを放った。

過去に会った回数は数回程度の私たちだけれど、それぞれとはウェブで濃密な時間を過ごしている。pathやFacebookといったサービスを使って、互いの近況を共有している。それらは柔軟な公開設定や個別メッセージのやりとりが可能なサービスなので、個人的な交流に利用しやすい。

だから話が早い。もう会ったときには「で?」と、次の話をうながしている。

でもやっぱりリアルで会うと、心の通じ方が違う。親密度が違う。相手に抱く愛情が違う。ぜんぜん違う。だから私たちは、定期的に会う。京都はそんなときに良い場所だ。皆が来たい、と思ってやって来る。私は、おかげでたいしたおもてなしをしなくてすむ。彼女たちがそれぞれの京都を求めているから。

彼女たちの話を聞き、私も彼女たちに私の話をした。

みな、それぞれに波瀾万丈な人生を送っている(ように私は思う)。そんな彼女たちが私を話し相手に名指しするのは、やはり少しだけ風変わりな生き方をしてるからだろう。

離婚という大きな出来事を経てまもなく一年を迎える。落ち着いたかといえば、まったく落ち着いていない。むしろ自分らしさに磨きをかけて、チャレンジングな人生に向かっている。苦笑してしまう。

けれど、精神はというと、普遍的な愛への探求をおしすすめる一方だ。協調、信頼、尊敬といった言葉と行為の意味について考え、味わい、実践するための努力にいそしんでる。…なんて書くと偉そうだけど、要するに人を信じて人に頼れるようになった私がいるのです。ユニークな生き方を継続的におこなうには、普遍的な愛を身につける必要がある。

色んな道を生き、まい進する人がいる。ビジネスが好きな人、社会が好きな人、研究が好きな人、多くの人に奉仕したい人(できる人)、親でありたい人、などなど。その人らしくあれば、人はそれだけで幸せでいられるものだ。人の為にというのは結果論でしかない。

らしさという点でいえば、私はどんどん「受け身」な私を極めようとしている。受け身な自分に積極的になっている、というのか。黙っていても、個性のある人が周囲に集まってくる。私に幸せをくれる。美味しいものをくれる。素敵な景色を見せてくれる。その人たちの魅力を吸収し、彼ら彼女らが輝くのを笑いながら眺めている。それが楽しくて、今がある。

京都はそんな受け身な私が生きるのにうってつけなのかもしれない。

これからも、ここで生きながら、大切な人たちの物語に耳を傾けながら、私の物語を提供しながら生きていくのだろう。人生の終わりには、すべてを忘れて笑えればいい。今のように。

 

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