1016日記

141016

捏製作所の「捏」はつくねと読む。雑居ビルの奥の奥に隠れるように存在する。肩幅が広くて、ちょっと硬派な若い店主が営んでいる。スタッフは彼と奥さん。カウンターの向こうで、メインメニューの捏料理は店主が黙々と作っている。ちなみに朝5時までやっている。

どうしてつくねのお店に?とたずねたら「焼き鳥屋に勤めてたんですが、自分でやるなら何かに特化したいと思って」という返事だった。捏って漢字、初めて認識しました、と言うと「捏造(ねつぞう)のねつ、ですよ。『つくねる』って動詞があって、イメージつながるでしょう」と説明してくれた。ああ本当だ。捏造のねつ。

連れて来た彼は22時を過ぎてやっと本日最初のご飯にありつけたという。てっぺんに柚子胡椒がのったつくねとサイドメニューのアンチョビポテトフライをいたく気に入っていた。「いつも宴会でポテト系は人気ですぐに売り切れちゃう。だからたっぷり食べられて嬉しい」と言いながら、皿に山盛りのポテトをぱくぱく口に放り込む。いくら食べても太らないという。若い。羨ましい。

好きな子との別れは辛い。ましてや人生で初めて心揺さぶられた相手だったなら尚のことだろう。つくねと日本酒と私との会話だけで満足に紛れるものではないだろう。しかし食べ物は少しだけ心を救ってくれる。私は、ご馳走を食べるときにいつも「美味しいものは私を裏切らない」と心でつぶやいてから食べてるよ。だからなかなか痩せられないんだけど。

二条麩屋町からてくてく歩いて、ココボンゴへ。一泊二日の釣りの成果が上々だったあけみさんはご機嫌だった。肌つやも良くいつにも増して笑顔が輝いていた。珍しく人を連れて来たのでちょっと驚いていた。事情を説明すると、さすがの包容力とシンパシーとユーモアで接待してくれた。時に突き放し、時に優しい言葉をちりばめて。

カウンターに次々やってきた人たちはみんな知った顔だった。マチガミさんとかもんちゃんとか、去年のクリスマスパーティのイントロクイズで競い合った彼もいた。こんな世界もあるんだよ〜私も最初はいちげんさんだったんだよ〜と先輩風を吹かせてカンパリソーダとチンザノロックを飲んだ。あけみさんはカクテルに不慣れだという彼のリクエストに応じてジンリッキーとテキーラを作ってくれた。捏製作所は彼が出してくれたので、ココボンゴのお勘定は私が払った。

1時半をまわって、鴨川べりに出たらオレンジがかった月が東山のほうに浮んでいた。ちょっとふっくらして食欲の秋らしい月だった。星も少しだけどまたたいている。川端通りはまだクルマが沢山通っている。でももう名物の等間隔カップルは岸辺にいない。

旅の話とか仕事の話とか、早口で楽しそうに喋った後、必ず「はあー」とため息をつく。そうだよね、どれだけ美味しいもの食べてもバーで楽しく語らっても、根っこの部分は変わらない。ちっとやそっとで傷んだ心は回復しないし鬱屈は払拭できない。恋の傷は恋で癒やし、恋の記憶は恋で上書きしなくちゃいけない。

そういう私はどうなんだ、ってずっと心のなかで問うていた。私だって傷ついている。知ったかぶって連れ回しながらも、君を慰めながら自分を慰めている。与えるなんてとんでもない。何のことはない、ただ自分が癒やされたいだけなんだ。

だけど私の心のかさぶたはすっかり強力になってしまい、簡単には剥がれない。剥いたって血が出てくるかすら分からない。塗りたくった油絵のように、心も身体ももはや修正不可能だ。三条と御池のあいだあたりで、西の空を見上げたら、誰かの面影が浮かんだので小さく首を振った。

それでも青年のピュアな心情に触れたので、厚塗りの絵の具が少しだけ柔らかみを取り戻したようだった。帰宅したらインターネットにはいつものように色んなニュースや人生の断片が飛び交っていた。ひとつのブログを読んで少し泣いてから眠りについた。

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