運転と狂気

141003

午後、免許証を更新するためにクルマで伏見の試験場へ向かう。河原町通りを南下し、京都駅あたりを過ぎると窓から見える街の雰囲気が徐々に変わっていく。大型のロードサイド店、自動車関連の店、工場が目立ち、ジャージや作業着を着た歩行者の割合が増える。

昔、好きになった人が十条の住人で、一度だけマンションを訪れたことがあった。朝、一人で彼の家を出てタクシーを捕まえるまでの時間に「もう来ないだろう」とはっきり思った。その理由のうち何割かはこの街のくすんだ色合いのせいだったのかもしれない。

iPhoneの地図アプリで検索したルートに従ってクルマを走らせていたら、阪神高速京都線に乗るよう指示された。高速でなくても行けるはずだと思ってルートからそれたら、しつこくガイドが軌道修正をせまってくる。無視しても良かったけれど、今日は自力で辿り着ける気が全くしないほど疲れていたので言うとおりにした。嫌いな街並を少しでも目にしなくて済んだだけ、良かった。

国道1号を横切り、横大路を過ぎ、心を浮き立たせるものが何もない風景をやり過ごしながら運転していたら、ほどなく試験場に着いた。もう何度もここに通っている。前回は、クルマの名義変更のために師走の最後の平日にやってきた。ややこしい書類の書き込み作業を一人でこなさねばならなかった。これをやり遂げたら新しい人生が開けるのだ、という気概で乗り切った。受理されたのは、事務所が閉まる10分前だった。あのときの切羽詰まった気持ちが、今は懐かしい。

受付から始まり、支払い、視力検査、写真撮影、講習まで、ベルトコンベアに載せられた食パンのように淡々と手続きを進め、無事に新しい免許証を手にして試験場を後にした。灰色の街の灰色の試験場にふさわしい灰色の小雨が降っていた。

クルマを運転するのが好きな理由のひとつに、自分の狂気を確認できるということがある。

クルマは走る凶器であり、また狂気を誘発する装置だ。実際に簡単に人を殺められるし、大きな力で物を破壊することもできる。だから、出かけるときは運転席についたらまず「人をひかない、物に当たらない、慎重に走る」と、過剰なほど自分に言い聞かせてから発車している。

一方で、高速道路を一人で走らせているときに決まって「今、どんな事が起こっても構わない」「このまま何かのはずみで死んでしまっても構わない」と、どこかで思う私がいる。その考えに気付いてぞっとするよりは、快感に近いものを感じている。

とはいえハンドルを両手できちんと保持し、白線に沿って、常識の範囲内のスピードで、(おそらく)品行方正なドライバーとしてこれからも走り続けるだろう。今のところは…。

正気と狂気。一線を越えるかどうかの判断など、自分自身で出来るものではない。

 

広告