しずくと面影

写真 (50)

温かい珈琲の美味しい季節になった。

オフィスでドリップするとき、きまって6月でやめたとみーちゃんを思い出す。「よかったら使ってください」と、彼女が置いていった一人用のカリタのドリッパー、今は私専用だ。

フィルターから落ちる焦げ茶色のしずくを眺めていると、ゆっくりとポットを動かして珈琲をいれていたとみーちゃんの姿が浮んでくる。

東欧の雑貨と本と旅が好きで、いつも風変わりなTシャツを着ていた。デスクでPCに向かっているときは公園で木の実をかじるリスのように愛らしいたたずまいなのに、複数のメンバーだと私の倍ぐらいの速さとユーモアのセンスでセンターの噂話や自分の失敗談などを喋る子だった。今は一乗寺の書店で雑貨を売っている。あの静かな売り場ではどんな様子なのだろう。ツイッターで饒舌なのは、彼女なりにバランスを取っているのだろうか。

珈琲をいれるときにとみーちゃんを思い出すように、何かをするとき、きまって誰かを思い出すことがある。

例えばシイタケを切るときは、やんぐりという昔の友を思い出す。味のある個人ホームページを持っていた男の子で、ある日の日記に「シイタケの軸はごく薄く切れば料理に活用可能である」ことを真面目な文章でしたためていた。それが強く印象に残って、今でもシイタケを調理するときはやんぐりの言葉が脳裏をよぎる。

他にもたくさんある。ひとつの作業につきおひとり様ずつ。ある場所を通りかかったときに思い出すひともいる。ひとつの場所につきおひとり様ずつ。淡々と思い出す場合もあれば、せつなさやいとおしさや苦さといった感情をともなう場合もある。ケースバイケース。

誰かがどこかで何かの折りに私を思い出すことはあるのだろうか。だとしたら、どんな感情とともに思い出すのだろうか。できればそのとき登場する私は、そのひとにとって心地良い存在であってほしい。

白い月兎印のポットを静かにまわし、お湯を慎重に注いでいく。透明のドリッパーをつたって落ちる珈琲のしずくが角度の加減でキラリと輝く瞬間が好きだ。小さなサーバーの2の目盛りに珈琲液が達したら作業はおしまい。とみーちゃんの面影も消える。ポーランド製のぶあついマグカップに注いだら、仕事に戻る。

 

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