明恵上人と高山寺

写真 (19)

山がある

樹々がざわめく

鳥が鳴く

虫が這う

何かが私を包み込む

神がそこにいる

* * * * *

真っ直ぐに伸びる杉の林が眼前にせまってくる。

美しく枝打ちされ、等間隔で整列する杉木立を眼の当たりにすると、ああ、京都に戻ってきたのだ、とつくづく思う。それは安らぎと懐かしさと嬉しさと、少しのウンザリが混じった感情だ。人だけでなく、様々なものに対して愛憎を持っている。町に対しても、もちろんそうだ。少し離れて、また戻ってきた。京都。

久々に一人の時間を確保できたので、西にクルマを走らせた。かねてから訪れたかった栂尾山高山寺。鎌倉時代に後鳥羽上皇の帰依により明恵上人が復興した古刹。緑深い周山街道ぞいにあり、世界文化遺産に指定されているものの、華やかさはまるでない。古刹という名にふさわしい侘しさがある。その侘しさと静けさを求めてやってきた。

私が何処かを訪れるときは、決まって何かしらの思い入れと理由を持っている。今回は、寺の開山者である明恵上人(みょうえしょうにん)だった。8歳で両親を亡くし、その後はひたすらに仏道をすすみ、我が身と世俗を切り離し、修行に身を捧げた人。生涯独身を貫いた。汚れた自分を罰すべく、片耳を切り落とし、真夜中の山中に身を横たえたというエピソードもある。そして、自身が見た夢をリアルに記録した「夢記」の書き手としても知られている。私が明恵上人を知ったきっかけも、臨床心理学者の河合隼雄先生の残した著作『明恵 夢を生きる』からだ。

私自身、リアルで印象的な夢を頻繁に見る。記録にはつけていないが、よく人に「こんな夢を見た」という話をする。夢を題材に詩を書くこともある。明け方、現実なのか夢なのか分からない不思議な感覚におそわれて、しばらく茫然自失とすることも多い。

死ぬときは、夢を見るように死ぬのだろうか。そんなことをよく思う。

簡素な参道の石段を登り、石水院という明恵上人が存命時からある国宝の建物に入る。周山街道から聞こえてくるクルマのエンジン音がいただけないが、中央の床の間にかけられた明恵上人の座禅像の絵を眺めていると、自然の中でひとり静かに祈る明恵の心に近付ける気がして、清々しさをおぼえる。

思うに、明恵は自身の煩悩や欲に対してきわめて敏感な人だったのではないだろうか。だからこそ、極端なまでに清廉潔白を貫き、山にこもり、仏道を追求し、無我の境地を目指したのではないだろうか。

自分らしい生き方、などという表現に甘んじれば、我欲に満ちた生き方になる。

いま、私はさまざまな意味で自由だ。もちろん、少なからず背負っている責任があり、果たさないといけない義務もある。けれど、住む町も、着る服も、飲むものも食べるものも、仕事も、共に生きる相手も、選ぼうと思えば、何だって選べる。

自由、自由。けれど、自由をただ追い求めたその先は、享楽と放蕩だけの日々になりかねない。

自分を律することができる者は、自分しかいない。なんと大変なことか。明恵は、それをよく知っていて、仏教という大きな礎に頼ったのかもしれない。そして、個を超えるために自然という大きなものに含まれようと、栂尾山の懐に身を寄せたのかもしれない。

俗にまみれた日々を送る私にとって、こうして一人、山中の古刹を訪れることは、わずかではあるけれど、己を見つめ直し、背筋をただす大切な時間なのだ。私も山の神の子であり、樹々や鳥や虫と同じ自然の一部なのだ。自然という言葉ほど難しく重いものはない。

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