悲しみに寄り添う

140724

昨夕、鴨川べりを自転車で帰ろうとしたら、ベンチにたたずむ男性がひとり。勤め先の研究センターに出入りしているチベット人研究者のDさんだった。

ありきたりな挨拶をして「休憩ですか?」とたずねると、少しなまりのある日本語で、彼は言った。

「実は、チベットに住む兄さんが、病気で死んだんです。あまりに急だったので、ショックでショックで…」。

「お兄さんのところには帰られないんですか?」

と聞くと、悲痛な面持ちで「ムリなんです」という返事がかえってきた。

Dさんは数年前から来日して仏教研究をおこなっている。日本に来る以前はインドにもいたそうで、こうした海外渡航歴のためか、中国政府から目をつけられていて、現状ではチベットへの再入国が難しいそうだ(特に彼が何か政治活動をおこなっていたわけではない)。

「だからチベットにも帰れず、兄さんを見送れず、こうして日本にいてもあまりに悲しくて、何もできなくて、研究のあいまに鴨川に来ているんです」

Dさんは虚ろな目をして言った。

Dさんは、チベットの田舎で生まれ育った。お兄さんは田舎町の中で誰もが尊敬する頭の良さと人望の厚さで、町の有名人だったそうだ。勉強したいというDさんを海外にまで出してくれたのも、ひとえにお兄さんの後押しのおかげだったという。

家族思いのお兄さんは、年寄りの世話もよくしていたという。でも、まだ40代ということもあり、若い自分の健康管理はおろそかにしていたそうで、病院に運ばれたときには胆石から併発した症状が悪化し、手遅れだったそうだ。

「僕がいま日本で研究できるのも、すべて兄さんのおかげ。兄さんが死んで、僕はとつぜん長男になってしまった。長男は責任があるんです。なのにチベットにも帰れない。今、僕はどうしていいか分からない」と、繰り返すDさん。

「お祈りはしていますか?」と、たずねると、

「祈っても、彼に来世があるのかどうかも、救いがあるのかどうかも、分からなくなってしまいました」と、うつむいた。

熱心な仏教徒で、ダライラマ法王が春に京都にやってきたときは、嬉々として立ち働いていたDさん。今はお兄さんの死が大きすぎて、何もかも信じられない状態になっているようだった。

「でもね、夢を見たんです。兄さんが病気であることも知らないときに、兄さんが死ぬ夢を二回も。だからチベットに電話をかけたけど、誰も僕に気をつかって本当のことを教えてくれなかった」と、Dさんは言った。

お兄さんがかけがえのない存在であったこと、これ以上に悲しい経験をしたことがないから、今はただ途方に暮れているということ。Dさんは同じことを何度も繰り返した。

「ご飯、食べてくださいね。ひとりでいるのが辛かったら、日中は私やスタッフのいる部屋をたずねてください。お茶でも一緒に飲みましょう」

そんな、とおりいっぺんのなぐさめの言葉しか言えない自分がもどかしかった。

「スミマセン。たくさん話してしまって、スミマセン」と、Dさんは頭をさげた。

「祖国の親御さんのためにも、どうかDさんは元気でいてあげて」そんなことを言うしかできなかった。

日が暮れたので、私たちは静かに別れた。自転車で去る私をDさんは草むらに立ち尽くしたまま、虚ろな目で見送っていた。

肉親をとつぜん失い、死に顔を見に帰りたくても政治的な力によって帰ることができないDさん。さらに一家の中心人物を失い、いきなり自分が長男という重責を担う立場になってしまったDさん。

彼の受けた衝撃の大きさは、彼にしか分からないし、彼にしか消化できないもの。私はただただ、彼の話を聞くことしかできなかった。おのれの非力さにショックを受け、帰路はただ呆然としていた。

人の悲しみに寄り添うことは、なんと難しいことだろう。

なぐさめの言葉も行為も、真の悲しみに打ちのめされた人には、何の救いにもならない。

今はただ、Dさんのお兄さんの冥福と、Dさん自身がこの日本で孤独と悲しみに負けてしまわないように祈り、私にできる形で見守っていくしかない。

この広い世界には、様々な国があり、町があり、そこには様々な人が住んでいる。

置かれている状況は異なれど、皆、懸命にそれぞれの人生を生きている。

すべての人が幸せになることは無理なのだろうけれど、せめて自分の意志で帰りたいときに祖国に帰り、会いたい人に会える自由ぐらい、すべての人が持てる世の中になりますように。

鴨川が、Dさんの心を少しでも癒やす場所になっていたのなら、嬉しい。

川の流れのように時も流れていく。時の経過と共に、Dさんがふたたび明るい心を取り戻し、お兄さんとの思い出を振り返ることができますように。

* * * *

(後日談)
今日、たまたまセンターでDさんに会ったので、さっそくオフィスに招いてお茶とクッキーをふるまい、30分ほど世間話をしました。
明るいオフィスで悲しい話をしても仕方がないので、チベットと日本の生活習慣の違いや、いま取り組んでいる研究のことなど、ふつうの話題をするよう努めました。
彼もそれなりに楽しんでくれたみたいで、「また来ます!」と笑顔で去っていきました。
私はとても非力です。だから私に可能な範囲でもって、「おもてなし」をするしかないんだなあ、と当然のことを再認識した次第です。
それにしても、チベットと中国、また、モンゴルやインドなど周辺諸国をとりまく政治情勢というのは、本当に複雑なのですね。
今まで何も知らなかったことを恥じると共に、今回、Dさんのおかげでこうしてアジアの国際問題にもより深く関心を持つことができて、彼に感謝しています。
広告