時はやさし

写真 (8)

息子の名前は「時(とき)」といいます。

前の夫が名付けました。産まれる数カ月前に提案されました。

どうしてその名前にしたいのかたずねたら、「時を経ても残るようなものを作り出せる人になってほしい」と言いました。

「親しみのある漢字だけど、あまり名前に使われていないし、ローマ字にしても読みやすい」とも言いました。その場で賛成しました。

話はかわって、昨日、2006年から2年間いたアメリカで共に過ごした友人と久しぶりに会いました。

彼女はアメリカ在住中、家族のような存在でしたが、帰国間際にちょっとしたすれ違いがあり、疎遠になっていました。

帰国後もその出来事が心に引っかかり、折りにふれて考え、咀嚼し、反省し続けました。

そして遂に、再会が叶った昨日、謝罪することができました。

彼女も同様に考えていたようで、同じ気持ちを返してくれました。

巡り巡って、今はまた同じ京都に住む私たち。もうあの頃のような気まずい出来事を経験することもないでしょう。

時間。

形のない、人が産み出した概念である時間について、このところ、考えることが増えました。

変な表現ですが、時間に対して親しみと感謝をおぼえるようになりました。

時はいつの日にも親切な友達
過ぎてゆくきのうを物語にかえる

そんな歌詞がユーミンの「12月の雨」という歌にあります。何も感じなかったこのフレーズが、妙に味わい深く思えるこのごろです。

時間。

「できごとや変化を認識するための基礎的な概念」と、wikipediaには書かれています。

小さなこと、大きなこと、いずれの出来事に対しても時は平等です。

いつか忘れ去られること、いつまでも思い出されること、時の経過がそれらに何らかの作用をもたらします。

歓びも、享楽も、憎しみも、苦痛も、時がすべてを平らかにしていく。

心の傷を癒し、忘却をうながし、出来事を思い出へと変えてくれる。

目に見えない、けれども確実に過ぎていく時間。

やさしい時のはからいに感謝しているこの頃です。

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