Let it go, let it go

140603

あっというまに爽やかな初夏は過ぎ、過酷な夏がやってきました。

一昨年に転勤してきた北海道出身のアベ先生によると「京都は好きだけど京都の気候は大っキライ!」とのことでした。ハイ、大阪出身の私も思います。ほんまに京都の夏はあきません。

疲労困憊の週末を経た私ですが、なんとか昨日から復活しました。たくさん休息をとっただけでなく、どちらかというと危機感にあおられて立ち上がった、という感じです。実のところ「このままではアカーン」と自分を叱咤したわけで。

昨日はお酒も呑まず夜はランニングとストレッチ、日記と読書もきちんとこなし、生活に一本、スジを入れなおしたのでした。やっぱり自己肯定と甘えをすりかえてはいけませんね。

明日は、我が家のレンタルスペース “Place Moment(プレイス・モメント)”を使って、友人が小さなイベントをおこないます。それまでに復活できて良かった。

話はかわって…。

先日、勤め先のセンターでダライラマ法王を迎えておこなった “Mapping the mind” という国際シンポジウムの講演で、とても印象に残った話がありました。ウィスコンシン大学のR.デビッドソン教授の話ですが、

「幼ない子どもでも、なにか選択肢があるときには”利己的”なものよりは”愛他的”な行動を選ぶ」。

という、長年の調査結果にもとづいたお話でした。

以前に読んだ育児書にも、こんなことが書かれていました。

「子どもは、放っておけば『良い方向』を選ぶのです。条件さえ整えば植物が放っておいても生長するように、人間の子どもも本能的に良いことをおこなおうとするものなのです」。

という記述でした。出処が一緒なのかもしれません。

たしかにそうだな〜。身近な子どもたちを見ていたら、余程のアクシデントがないかぎり、大人が心配するほど酷い行動をとりません。子どもなりに、その場に応じたふるまいを自然におこなっているんだな、と思います。

例えば、毎月、私が出店しているフリーマーケットには、息子が通っている保育園の子どもたちが散歩をかねて大挙してやってきます。いつもは園内でやんちゃし放題の子どもたちなので、最初は狭いスペースを荒らされないかとヒヤヒヤしていたのですが、今のところひとりとして勝手に商品に手を出して壊すようなことはしません。意外なことに。

もちろん興味を示して触りたがることはありますが、「ここまでならいいだろう」というラインを認識しているのが感じられます。

それでは、どこで人は愛他的ではなく利己的な行動をとるようになるのでしょうか。

例えば神様が、人類を全滅させて、もう一度、アダムとイブを創り出したとして、その子孫たちが次々と子どもをもうけて「放って」おいたなら、良い人間ばかりが増えて良い世界になるのでしょうか(このような思想をひとつの人種が持つと、ホロコースト的行動につながるのかも…おそろし)。もちろんそのようなことは不可能です。

子どもが大人になる過程で人格形成に大きな影響を与えるのは、やはり最も身近に存在する親です。もちろん外の環境も要因になるでしょうが、やはり家庭での親の接し方が最も強く作用するのだと思います。

それは分かっているのですが、自分が小さな子どもと一緒にいて思うのは、しみじみ「親の人格は完全ではない」ということ。こんな駄目な自分がこのまま子どもを育てていていいのかしら、とうなだれる日々です。幸いなことに、多くの周りの親が同じように感じていて、なぐさめあっています。だから「育児は育自」というフレーズも生まれるんですよね。

だけど、その道の研究者が指し示すように、子どもたちの”ありのまま”を愛して、見守ってあげたなら、自然と「良い方向に育つ」のであれば、それを信じない手はありません。

自分は不完全な親であることを認識しつつ、前述のデビッドソン教授の講演や育児書が言っていた「子どもは選択肢があれば愛他的なものをとる」ということを心にとどめて、子どもや、子どものみならず身近な人たちを信じ、見守っていきたい、と思うこの頃です。

不完全な自分だって、世の中だって、自然な状況にあれば良い方向へと進んでゆける、そう信じて…。

Let it go〜, let it go〜….(映画は観てない)

写真は、愛車のデミオの背中。クルマのガラスに映り込んだ景色を眺めるのが好きです。

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