センダンの木の下で

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川端三条の東側にある大きなお寺、だん王さんで沖縄フェスがあった。友人が出店するというので、日曜の昼に行ってみた。

広い境内は、たくさんの屋台にむらがる人たちで賑わっていた。本堂の舞台では、次々に沖縄民謡やエイサーのパフォーマンスが繰り広げられていた。空はどこまでも青く、陽光がおしみなくふり注ぐ。正真正銘、沖縄だ。

どうして京都のお寺さんで沖縄フェスが?スタッフにたずねてみたら、400年ほど前、この寺のお坊さんが浄土宗をひろめるために琉球王国へ赴き、念仏踊りを現地の人に教えたとのこと。それがエイサーの起源になった、という説もあるとか。京都と沖縄がそんなところでつながっているなんて。

現地で会おう、と約束していたゆかさんが人ごみで手をふるのを見つけた。さっそくさっちゃんのいる店でタコライスをゲットした。石段に腰かけたとき、いづみちゃんからメールが届いた。「だん王さんにいるよ〜」と書いたら「あとで行くよ〜」と速攻の返事。ふたをあければワラワラと幾人もの友人たちが集まってきた。気ままで自由な感じだ。

麦わら帽子に茶髪の毛先をくるんと巻いたいづみちゃんがやってきた。やっぱり太陽が似合う。続いて、グリーンのワンピースが目をひくゆきちゃんがやってきた。まるで初夏の国からやってきた女神のようだ。「今日は体がしんどくって…」。たしかにいつもようなはつらつさがない。それがまた可憐な感じで、見とれてしまう。私の好きな女性たちはみんな綺麗だ。一緒にいるだけで幸せな気分になる。

オリオンビール、泡盛、かき氷を手に、大木の下でささやかなパーティになった。「いいね〜」「気持ちいいね〜」「極楽だね〜」なんていい合っていたら、頭上からパラパラと何かが降ってくる。見上げたら、緑の枝葉に小さな白い花が山ほどついている。もう咲ききった後らしい。ゆかさんの髪の毛にも、私の麦わら帽にも、花がらが雪のように舞い落ちてくる。「なんだろうね、この木」「きれいだね」「そうだね」。もうここはユートピア。

「私、最近、すごく荒れてしまって、夫にひどくあたってしまったの。でもね、そんな私に彼がね、『晴れの日も、雨の日も、好きだよ』って言ってくれてー。自分の心の狭さを思い知ったわー」

そんな話が聞こえてきた。嗚呼、結ばれて10年以上経った今なおも愛情を言葉と態度双方で伝えてくれる、しかも雨の日にそれを体現してくれる男性が身近に存在するということに、胸がキュンとなった。そんなエピソードを聞けただけで、今日は祝祭日だ。そのような男性には惹かれない自分がいることは別として。

泡盛のロックをおかわりしてまどろんでいたら、こびーちゃんが隣に座った。今までゆっくり話したことがなかったけど、ふんわりした空気を常にまとっている人で、気になる存在だった。オリオンビールと泡盛のせいかな。身の上話をたくさん打ち明けあっていたら、こびーちゃんがどんどん私の心の扉を開いていった。おかげで涙腺がゆるんでしまい、気付けばいづみちゃんが差し出したタオルハンカチを握りしめていた。石けんのいい匂いがした。

女性の人生の物語は、ひとつとして同じ中身ではなく、すべてが再現不能なのだと思う。

もちろん平凡な日常が大半をしめている。けれど、私だけでなく、彼女たちにも、かけがえのない宝物のような誰かとの時間があり、何かを手にした瞬間があり、そして、何かを失ったり、みずから手離した時期がある。

誰も普段は、そんなこと、やすやすと口にはしない。けれど、祭や音楽や青空や陽光や緑やお酒や、色んなものたちの力を借りて、キラキラとしたエピソードがこぼれ落ちてくるときがある。昨日の午後は、そんな佳い時間だったのだ。

帰りぎわ、鴨川を自転車で走っていたら、境内の大木と同じ木をみつけた。ぶらさげられたプレートを見たら「センダン」と書かれていた。そうか、センダンかあ。

   センダンの木の下で、私たちはそれぞれの物語をかたりあった。
   そのすべてはセンダンの木の記憶の幹に。

来年もまた来れるといいな。

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